Mar27
命を詩うという事
2013年3月27日 Shion
みんなこんにちわ、薔薇です(^^)
またブログの間が空いてしまったー。。。。。
Clef Doll Blogはちょこちょこ間が空くのが特徴でございます←

さて、前回に引き続き、少し真面目なお話を。

最近、小学校の時代の友人と本当に10年ぶりくらいに話す機会がありました。
小学校の頃はすごく仲が良くて、1年から6年までクラスが変わってもちょこちょこ遊んでいたような子です。
なんと最近入籍したそうで、そんな話も聴かないくらい遠くなっちゃったんだなぁ。。。とちょっと切なさもありつつ近況報告をしていたところ。

彼の母親が、現在不治の病に侵されているというお話を聞きました。
小学校の友人です。当然、僕もご本人を知っています。
そんな人が、そんな大病に侵されてしまっている。そして、余命宣告をもされている。
ショックでした。


今、入籍したという事にも、関係がない訳ではないのだろう、と思います。


この歳になるまで生きてきて、当然僕等も歳を取ったし、周囲の人間も歳を取りました。
歳を取れば当然若かった頃のように体が動かなくなったりも、します。
そうやって、いつかは自分の大切な人を見送らなければならないのです。


僕達Clef Doll の物語には、「死」の匂いが色濃く入っています。
決して、希望に溢れた歌詞や、「みんなで楽しく生きよう!」みたいな物語ではありません。

しかし、死と生は表裏一体。
「死」を通して、「生」を見て、感じてほしい、そんな風に思っています。
死に逝く物語の登場人物達を見て、皆に生きて往って欲しいのです。

明日も今日も、「現在」の幸福がいつまでもは続きません。
いつ、何が起こるかは、本当にわかりません。

神様は、決してただただ人を愛してくれる、都合よく助けてくれるような存在ではないと思います。
そんな得体のしれない救いなんて、この世にはありません。
けど、人は人を愛す事が出来るし、人を救う事も出来る。
同様に、傷つけたり、憎む事も出来る。

そんな事を、物語を通じて、僕達は表現していきたいと思っています。


僕も、多くの人を見送ってきました。
いつかは、僕も見送られる側になるでしょう。
もしかしたら、そう遠くない未来にそれが起こり得る可能性だってあるんです。
明日何が起こるかはわからないですから。


だからこそ、どうか毎日、日々、後悔のない人生を。



Clef Doll
Shion
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