May22
天津飯の苦悩。
2007年5月22日
 天津飯は苦しんでいた。なぜなら、今彼を取り巻く状況は悪化の一途を辿っている。以前は違っていた、世の中も彼に好意的であった。チャーハンなんて相手ではなかった。しかし、彼は今一つの決断を迫られている。進歩か、身の破滅かを。

 まず、生い立ちがいけなかった。漢字の読みからして、どう考えても中華以外の何者でもないその名前にもかかわらず、彼は正真正銘、日本生まれの日本育ちで、中華の者達からは煙たがられ、和食の者達からは、完全に黙殺されている。「どうせなら、『かに卵ご飯』の方が良かった。」とごく親しい仲間内には、ボヤいてはいたが。せっかく生みの親がつけてくれた、この世でたった一つの名前である。仁義を欠いては人の世は渡れぬと、今日まで耐えて来た。

 もう一つ彼を悩ませるものがある。彼の中の『たまご』と『カニ』の激しい派閥争いである。『カニ』側の主張は、「卵なんかと一緒にされては、カニの価値が下がる。カニを一体なんだと思っているんだ、是非とも我々を優先しなければいけない。今すぐにだ。」と言う。一方、『たまご』は「確かに、カニには人を引きつけてやまない魅力はある。しかし、我々はまず天津飯である事を忘れてはいけない、あなたばかり目立ったって、所詮は『かにめし』さんには勝てませんよ。発想を変えるのです、今よりもカニの量を減らして、カニの希少価値を上げるのです。これしか、我々が生き残る術はありません。」と言う。
両者の意見は平行線のまま、今日までなんの解決の糸口も見いだせないでいる。

 彼の不幸は、彼には、良き理解者や、良き相談者が、ただの一人もいないことである。油で汚れた不透明なショーケースの中、彼はおおきくため息をひとつついて、ゆっくりと目を閉じる。
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