May4
これ俺以外の誰か書いてくれねぇかな?第25回
2007年5月04日 横山
 このバンドが現在のメンバーになってからおおよそ1年と7ヶ月がたった。それはおよそ580日であり、一人の人間が一つ年をとり、何冊かの本を読み、いくつかの恋をして、300リットルくらいのアルコールを体内で分解するには十分な時間だったと思う。



 しかし僕らはこの永い-もしくは1年というのを「人生の一部」ではなく、ある「期間」と考える人にとっては短い-時間の中で、新たに生み出した曲はたった4曲で、新たに知ったことと言えば、自分の人生がおよそ1年と7ヶ月減ったということだけだった。


 たとえば僕が、その1年と7ヶ月の中からある1日を選んで、その日を分析したとしよう。僕はその日3杯のコーヒーを飲み、恋人に6回キスをして、映画を1本観た。ビールを一杯飲み、27曲の音楽を聴き、ケーキをひとかじりした。

 



   「ケーキをひとかじりすることについて。」


 ケーキをひとかじりすることは、とても文学的で文化的に感じる。ホールサイズの8分の1のケーキから、僕はさらにたったひとかじり分を切り取って食べるのだ。
 そのひとかじりは全体から見ると「ほんの少し」に過ぎないのだけれど、ケーキはそのひとかじりでケーキのけーきたる魅力を失ってしまう。だってそうだろう。どこの誰がかじったかも分からないケーキなど、誰も食べたいなんて思わない。

 誰も食べたいと思わないケーキ。それはもはや外見こそケーキなのだけれど、本質的にはケーキの剥製-もしそんなものがあるのなら、だ。-となんら変わらない物になってしまったのだ。それならば、僕がひとかじりしたケーキを唯一食べられる人間-そう、僕だ。-が続きを食べたとするならば、僕は本質的にはケーキの剥製を食べたことになる。




 音楽をやっていた。バンドという形態で。3人の他人と一緒に。およそ1年と7ヶ月。
 みんなは演奏が上手くなり、あぁ、ずっと練習してきたからなぁ、と感じることがある。しかし、バンドとしての成長がさして見られない。昨日の僕が見ているのが、今日の僕の背中であることを時間の経過-あるいは成長-というのなら、バンドの横顔しか見れていない今は一体何なのか。もしそれが感じるままであるのならば、このおよそ1年と7ヶ月は本質的には長大な1日である。


 
 面倒くさい。書くの止め。



                     THE END
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